漆芸の沼

能登半島地震から2ヶ月


2024年の正月は
漆関係者にとって
一生忘れられないことが起こりました

灰燼に帰した朝市通りは
何度見ても胸が痛みます

漆芸や金継ぎをたしなむ中
「何かしたい」とお考えの方の
参考になれば幸いです。




支援情報


蒔絵師 望月ゆかりさんWebサイト
様々な支援先を
まとめてくださっています


輪島屋善仁さん
「塗師の家」で知られる高級漆器メーカー
 instagram


松沢漆工房さん
うるしの木を育てて応援





能登はやさし 土までも


10年以上になりますが、
能登を訪問したときの記録です


◆羽咋市の大穴持像石神社



◆国道249号線



◆輪島 朝市通り



◆輪島 塗太郎さん
蒔絵用の手板やアクセサリーパーツの
製作で、たいへんお世話になっている工房です



◆輪島屋善仁さん
江戸時代創業の漆器工房で
塗師(ぬし)文化の伝承のため
「塗師の家」を保存・公開されていました

現在のようす
輪島屋善仁さんのinstagramより





◆柳田(能登町合鹿)の福正寺
富裕層向けの輪島塗に対して
庶民向け椀の産地だった合鹿(ごうろく)

地名を冠して「合鹿椀」と呼ばれたお椀や
制作道具を展示




輪島と漆

食器としての「漆器」は
平安時代に登場しましたが
使用者は一部の貴族に限られ、
庶民の手に渡ったのは鎌倉時代。


和歌山の根来寺(ねごろじ)では
寺の什器を僧侶が塗っていました。

根来塗の盆 

根来寺が戦火に見舞われた際
僧が能登半島の總持寺に逃れたことで
漆器制作の技術がもたらされたと
考えられています。


その後、時代の変化に合わせて
蒔絵や沈金の技術を導入。

北前船の発達という機運に乗り
「塗師」と呼ばれる人が全国各地で
販売網を構築し
分割払いを導入することで
漆器産地としての地位をゆるぎない
ものとします。


戦後の高度成長期は
紀州、越前、会津、山中などと
ともに有名漆器産地として繁栄
しましたが、
石油製品に駆逐され
バブル崩壊後は厳しい状況です。


他の産業と同じく世代交代期にあたり
ちょうど岐路に立っていた輪島です。


本物の伝統が持つ力と
若い後継者の情熱で
火の鳥のように復活を遂げるよう
心より願っております。