漆芸の沼

津軽塗 映画「バカ塗りの娘」

津軽塗



津軽塗をご存じですか?

画像:『あっぱれ津軽の漆塗り』より

上の画像は津軽塗の
唐塗(からぬり)です。


昭和時代は、
旅館や飲食店の座卓、お盆、茶托など
よく目にする機会がありました。

まず、
絞漆(しぼうるし)
というものを作ります。

これがおもしろいもので
漆と豆腐または卵白を混ぜます。

タンパク質と漆が反応して
粘りが出ることで、
モデリングペーストのように
なります

さらに、画像のような
「仕掛け」と呼ばれる
特殊なヘラで、素地につけると、
このように摩訶不思議なパターンが
出現するのです

その上から
色漆を塗ったり
錫粉を蒔いたり
塗り込めたり・・・
と、様々に仕込んだ後
塗り込めて研ぎ出すと、
独特の塗り肌ができあがります


津軽塗には、この他にも
 ★青海波塗
 ★ななこ塗
 ★紋紗塗 
など、たくさんの表現があり
塗の万華鏡です


『あっぱれ津軽の漆塗り』
佐藤武司著




鞘塗と津軽塗


津軽塗のような複雑な塗り技法は
「鞘塗」「変わり塗」などと呼ばれます。


江戸時代に戦が無くなり、
武士は刀の鞘のユニークさを
競うようになります。


鮫皮を貼ったり、木の葉や
貝類をちりばめたりして
様々な工夫がされました。

刀の鞘:受講生作品



笙:受講生作品

寛文十年(1670)ころ
若狭(福井県)小浜から
塗師池田源兵衛が招かれ、
津軽地方にこの技術を伝えました。

そのため、津軽塗は
若狭塗に通じるところがあります。


新しい表現を求める好奇心が
ひしひしと伝わる作品を見ていると
同地で縄文時代に栄えた
三内丸山遺跡の漆塗り製品が
思いおこされます。

こんなにユニークな津軽塗ですが、
江戸で知られた南部塗とは異なり
津軽藩(弘前藩)内で消費され、
あまり外に知られなかったようです。

明治時代以降


明治期に入ると、
万国博覧会や勧業博覧会を通じ
多彩な技法が評価されます。

蒔絵の人間国宝である
高野松山氏は、
変り塗りの研究でも知られます。


上の画像は、明治22~33年に
高野松山氏が東京美術学校(東京藝術大学)
で制作した手板。

蒔絵師のほか
鞘塗師にも師事した
松山氏の成果の結晶です。


私が東京芸大で
漆芸を学んだ平成3年当時は
廊下に展示されており、
他のどのような展示品よりも
目立つ存在でした。


さて、
明治維新で武士がいなくなり、
刀剣の鞘の仕事が無くなると、
「和竿」の装飾に鞘塗が
活用されます。


『寿晴の実践・変わり塗り』
という本では、
それらの技法が紹介されています。

映画 バカ塗りの娘


津軽塗は、
つけたり 
塗ったり
蒔いたり
研いだり
磨いたり
と、工程がたいへん多くなります。


“バカじゃないとやってられない”
との意味を込めて
現地では「バカ塗り」
と呼ばれています。


その名を冠した映画が
公開されます!

「バカ塗りの娘」です

バカ塗りの娘(公式)
上映スケジュール(全国)

福岡では、9月1日から
T・ジョイ博多
にて上映予定です!


津軽塗について
学ぶ絶好の機会!
ぜひおでかけください



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