漆芸の沼
惟喬親王のはなし①
【うるしの祖 惟喬親王】
11月13日は「うるしの日」
1985年に日本漆工協会が定めました
なぜ11月13日なのでしょうか?
詳しくは
日本漆工協会HPに掲載されていますが
簡単に言うと、
漆の製法や漆器製造法が未完成なことを
嘆いた惟喬親王(これたかしんのう)が
京都嵐山の法輪寺に参籠
本尊の虚空蔵菩薩から
技法を伝授されたのが
満願日の11月13日だった
※参籠:お寺にこもって祈願すること
ということで、今回は惟喬親王のおはなし
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惟喬親王は
平安時代に実在した人物です
55代・文徳天皇の第1皇子でしたが
皇太子になったのは
今を時めく藤原氏出身の母を持つ
第4皇子惟仁親王でした
➡そのあたりをわかりやすく解説した動画
歴代天皇ゆっくり解説 文徳天皇
『伊勢物語』では、
主人公のモテ男・在原業平と
惟喬親王が親しくする様子が出てきます
世の中にたえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
という有名な歌も、そのような折に詠まれます
惟喬親王は業平と親戚
男前だったのかもしれません
惟喬親王について
歴史書には少ししか書かれていません
貞観14年(872年)
病のため出家し、都を出ます
その後については
言い伝えや注釈、引用などの部分情報
が多くなります
◆小野
◆山崎・水無瀬(京都と大阪の府境あたり)
◆京都市北区雲ケ畑の岩屋山金峯寺
などに住み暮らした後、
小野郷大森に移住
そして、
寛平9年(897年)2月20日に
54歳でこの世を去ったということです
ところで、
惟喬親王のお墓
と言われる場所はたくさんありますが
宮内庁が陵墓認定したのは、
京都市左京区大原上野町のお墓
杉木立の中
入口に小野御霊社の小祠が鎮座
苔むした五輪塔があります
お参りに行くなら春がおすすめです
大原は、京都市内よりも1週間ほど
桜の開花が遅いのです
観光客が引いた後で
ゆっくりノンビリできますよ!
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~ 惟喬親王② へつづく ~
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