漆芸の沼

惟喬親王のはなし③

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【惟喬親王伝承の広がり】

小椋谷の伝承以外にも
多様で楽しい伝承がたくさん残ります


昨年(2020年)末に出版された
『惟喬親王を旅する』(中島伸男著)
という本を読みながら
出てきた場所をプロットしてみました♪


惟喬親王マップ(松生まさよ作)

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地図を見ると、琵琶湖の東西に
伝承地がたくさんあります

★親王駒繋ぎの松
   (東近江市大森町 長福寺)
★親王の馬がひずめの跡を残した石
   (東近江市中岸本町 城ヶ橋)
★親王の命で八幡宮を春日神社に変えた
   (東近江市杠葉尾町 春日神社)
★山味噌を召し上がった
   (蒲生郡日野町 芦谷神社)
★ろくろ木地の制作方法を教えた
    (小椋谷ほか)
★親王が、猿治郎柿の柿渋を漆器の下地に
 使うことを教えた(蒲生郡日野町)


各地に移住した木地師さんが運び伝えた
ものが多いようですが、
それ以外のケースもあります


ところで、
惟喬親王はろくろの神様のはずです


惟喬親王のはなし①の冒頭のような
“漆器の祖神”
になったのはどういうことでしょう?


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【日野椀と惟喬親王塗師伝承】


「売り手よし、買い手よし、世間よし」
三方よし!
で知られる近江商人

日野商人はその一派で、
東近江の日野を拠点としました


領主の蒲生氏郷は、城下町に楽市楽座を
敷いて商工業の発達に力を入れました


当地では、
室町時代から、柿渋下地の簡素な日用椀が
作られ、日野椀と呼ばれます


日本の椀の中でも、歴史が古いものです

そして、
日野商人はその椀を主力商品にします


『惟喬親王を旅する』によれば
日野地方に伝わる親王伝承は
小椋谷の「御縁起」をベースに
以下の2点を付け加えたそうです


◆親王は、小椋谷に隠棲する前
 日野庄に二年間逗留された

◆親王が
 猿治郎柿の柿渋を漆器制作に使うことを
 考案され、「御器」と名付けた
 これが我が国の、塗師の始まりになった

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【日野商人の知恵】

こ、こ、これは・・・


お椀を売るために
惟喬親王のお話にちょちょっと書き加えて
商品に権威付けしたようです

そのあたりで
「木地師の神様」だった惟喬親王に
「漆の神様」という属性が加わったようです

惟喬親王によって権威付けられた木地
そこに柿渋下地で漆塗りした椀を
惟喬親王で権威付け・・・
という二階建てになりました


バレンタインデーのチョコはお菓子屋さん
土用丑の日のうなぎは平賀源内
(大田蜀山人説も)
といった、仕掛け人のしわざでしたね

ひところ「物語消費」
なんて言葉がはやりましたが
今も昔も変わりません


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さて、次は

惟喬親王の隠棲先「小野郷」
そして、母方の実家紀氏と秦氏について


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       →惟喬親王のはなし