漆芸の沼
惟喬親王のはなし②
パート②では、
惟喬親王の
「木地師の神様」
という側面に光を当ててゆきます
【東近江の惟喬親王伝承】
惟喬親王が出家し、都を出た後について
東近江の小椋谷に伝わるお話です
~小椋谷の惟喬親王伝承~
※小椋谷:
滋賀県東近江市、奥永源寺地区の
君ヶ畑、蛭谷、箕川、政所、黄和田、九居瀬の6町
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惟喬親王は小椋に隠棲し、
出家してお経をあげる生活をされて
いましたが
ある日不思議な夢を見ます
山頂の大池から巨竜が舞い上がり
親王を襲いました
思わず、お経の巻物から手を離すと
くるくる回って巨竜の顔面に当たり
竜が親王を呑み込もうとしました
親王が
「仏の功力とともに呑むがよい!」
と言うと、竜はぐるりと目を回して
池に沈みました
そのとき水面で回る渦巻きの中心に
樫の実の袴がくるくる回っていたので
拾って眺めていたとき、目が覚めます
・・・
こうして、
木の器の作り方を思いついた親王は
轆轤をつくり、村人たちに
挽きものの作り方を伝授しました
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樫の実の袴
たしかにお椀に見えますね!
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【木地師とは】
木工には
指物、刳物、挽物、組物
などがあります
そのうちの挽物
漆器のもとになる木の器を
轆轤(ろくろ)という機械で作る
職人さんのことを
木地師とか轆轤師と言います
椀、こけし、家具の部品など
材を削って回転体を作ります
近世に旋盤が導入される前は
下図のような方法で行われていました
粗削りしておいた木地を轆轤にセットし
二人一組となり、
一人がロープを引いて軸を回転させ
もう一人が木に刃物を当てて削ります
材木を求めて山奥へ分け入り、小屋掛けして
木を伐り木地を挽きながら
山から山への移動生活です
民族文化映像研究所が制作した
『奥会津の木地師』という
再現映画に詳しく記録されています
DVDが販売されています
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【木地屋文書の世界】
木地師が越境移動する際
*通行の自由
*山の八合目より上に生える木の伐採
のような、常人には許されないはずの特権が
保証されていました
これは、「木地屋文書」と呼ばれる書類を
持っていたからです
文書の内容は
惟喬親王の随身の末裔であるという由緒
天皇や権力者が特権を与えた証拠の綸旨
などでした
「鋳物師文書」と言って
鍋、釜、梵鐘などの鋳物を作る職人にも
同様の文書の存在が知られていますが
木地師文書も鋳物師文書も
創作部分が認められるため
研究者の間では「偽文書」とされます
興味深いことに、このような、
権威ある人との結びつきを根拠に
通行の自由を得る由緒書きは
中国の山岳民族ヤオ族の『評皇券牒』
とよく似ているそうです
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【木地師を統率する組織】
その木地屋文書の発行元が
“公文所”と呼ばれる木地師統括組織です
さきほどご紹介した
小椋谷の惟喬親王伝承をつたえたのは
◆君ヶ畑の大皇器地祖神社と金龍寺高松御所
◆蛭谷の筒井神社と永源寺歸雲庵
ここに氏子登録すると
文書(パスポート)を発行してもらえました
木を求めて移住する者も多かったのですが
小椋谷からエージェントが巡行して
初穂料(寄付金/会費みたいなもの)を
集めていました
その巡行ツアーのことを
君ヶ畑では氏子狩(うじこがり)
蛭谷では氏子駈(うじこがけ)
と呼ばれ、
上述のようなろくろで作る椀、、盆、杯から
膳、杓子、玩具、農具など様々な木工品の
作り手が対象に含まれました
木地師特権は江戸後期まで続きましたが
明治政府が定住政策を行ったことから
役割が希薄になり、収入源を失った二社は
没落します
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【蛭谷の筒井神社と木地師資料館】
集落が見下ろせる小高い丘にお社が鎮座
筒井神社の神職は近世まで
惟喬親王の家臣、藤原実秀をルーツとする
大岩氏がつとめたそうです
大岩氏を名乗る前は
小椋氏と名乗りました
それで小椋谷というのですね
境内には、木地師資料館が整備され
木地屋文書やさまざまな古文書
全国各地の木地師さんから寄贈された
作品などが並びます
小椋さんとおっしゃる方(!)
が管理されていて
資料の説明もしていただけます
氏子駈帳と呼ばれる名簿
当時の木地師を網羅した貴重な資料です
筒井神社系の「氏子駈」は
西日本が多かったそうです
君ヶ畑の「氏子狩」は東日本中心で
棲み分けがあったのですね
氏子の居住地域は九州まで
及んでいたそうです!
こちらは珍しい手挽きろくろ
椀木地関係資料以外に
東北のこけし職人さんが寄贈された
作品も見事でした
遠刈田、土湯、鳴子などの伝統の諸系統が
揃っており、マニア垂涎なのだそうです
こけしも、お椀と同じく
木地を回転させて回転体を削り出す
「轆轤(ろくろ)」の技術で
蛭谷、君ヶ畑から技術が伝播したのだと
教えていただきました
釈超空(折口信夫)さんの俳句と
手引きろくろの絵があしらわれた
手ぬぐいが販売されていました
うれしいですね✨
木地師名鑑などの希少な本も販売
されていましたよ
山の中で自動車でしか行けない場所ですが
行ってよかったです
もう一度行きたいとすら思います
※訪問される際は
事前予約が必要ですので、お気をつけください
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【蛭谷の木地師さん】
ところで、
蛭谷集落は過疎化が進み、筒井神社周辺も
住んでいる家は数軒になってしまいました
しかし近年、
北野清治さんとおっしゃる方が木地師を
始められ、明るい話題となっています
ご子息の北野宏和さんは
山中の挽物轆轤技術研修所で
ろくろ技術を学んでこられたそうです
小椋谷にろくろの音が元気に響くのは
惟喬親王ファンにとって希望の光です
北野さんの工房では、
作品の展示販売やろくろ体験もされていますが
お二人でお仕事をしながらですので
事前連絡をされたほうがよいと思います
木工きたの(筒井ろくろ)
東近江市蛭谷町193
090-6558-7548
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さて、次は
惟喬親王伝承の広がり
そして、
木地神から漆塗の神へと変容を遂げた
背景に迫ってみましょう
→惟喬親王のはなし③